tiisanakonomi2005-11-08


昨日の続きですが
私は本当にどちらでもいいのか?
と、いうことを考えてみました。

その現場では
本当にどちらでもいいと思っているのです。
どちらを選んでも 私はなんとでもなると。
だから、あなたが決めなさい と、真面目に思っています。

でも、
生い立ちによるところが多いと思うのですが
相手にあわせるのが常になっていたため

自分で決めるということが億劫になり
本当にどちらがいいのか判断できなくなっている気もします。

そういった場合
やはり
言われたように
「とりあえずどっちか決めてみる」というのも
大事なのかもしれません。

相手の選択肢を狭めるのが嫌だと思うのは
自分が責任を負いたくないということです。

「あの時 ああ言ったじゃない!!」
などと、責められるのが嫌なんです。

自分がどうしたいのかなんて
いちいち考えないと分からない。
本当は
子供の頃にそういったものを押さえ込む訓練をしてしまったのですよね。

周りに合わせることが一番生きやすいと思い込んでしまい
それを実行できる自分にしてしまったのです。

だけど、
それは違っている。

結局は
相手に合わせることによって
自分の責任を転嫁しようとしているのです。

ほら、
今この文章さえ
子供の頃に私に影響を与えた人たちのせいで
私はこうなったと 訴えている(笑)


一つ学んだことは
人は 思うような自分になれるということ。

親にとっては とてもいい子で居られたと思いますよ。
そうなるのが私の目標だったのです。

もう、そこからは脱却しなくっちゃね。

まずは
「どっちでもいい」
を、やめてみようかな。