私の息子は小学校一年生になりました。
それに向けて
一生懸命 名前の練習したり
通学路を覚えたり
朝早く起きる練習したり
お世話になった保育園に感謝する事覚えたり
母は
立派な一年生になれる事を願い
色々やってみました。

そして、その結果

かけるようになった自分の名前を
真新しい教科書に書きたいと 入学式の日に泣いて訴え

入学式からの帰り道
しっかり覚えた通学路を
母の姿が見えぬことにも気付かず(?)
一人であるいて帰宅…(未遂ですが…)

彼はちっとも悪くない!??

そう、教えられたようにしたかっただけです。

ただ、もっと基本的な所

TPO が分かっていないのね・・・・

教訓
物事を飛び越えて教えてもダメダメです。
基本から教えましょう。

”物事には順番がある”って
ヤッパリ自分の事だったじゃん!!!!私

集団行動の基本
人のお話をちゃんと聞けるように。
「先生がお話している」
そういう場面では自分のしたい事は後回しにして
きちんと先生の方に注意を向け
しっかりとお話を聞く!!

僕は名前が書ける!
そして目の前に置いてあるこれには自分の名前を書く事が分かっている。
しかし
今は先生がお話しているから
それはしないでおこう!

と、
こういう展開にさせなくっちゃいけないのですね。

何気なく生活している中にも
さまざまな選択が有って
それをいつも瞬間で判断しているんですよね

その判断の基準を
教えるのが親の役目。

まだまだ 幼い人たちには
本当に私達がすでに忘れているような段階からの判断基準を教えなくっちゃいけないんですね。

本当は教えるなんて事は出来ないんじゃないかとも思います
すでに持っている何かを引き出して
それを使えばいいのじゃないかと思います

自然にその引き出される段階を踏めるようにするのが
私達の役目かなぁ

だから、
あまり あれしろ、これしろ言わないで
大きな気持ちで見守っていけばいいんだろうか

出来るようになって欲しい
立派な一年生になって欲しい

当たり前のように子供に期待するけど
これはあくまで親の”欲”
本人には関係ない思惑なのよね

かえって、邪魔してるのかもね

お姉ちゃん2人は
結構 親の思うような感じで育ってくれたから分からなかったけど
息子は 色々考えさせられます。
でも、
親の思うように…と、思えるお姉ちゃん二人の存在のお陰で
息子がクローズアップされるし
比較検討が出来るから
お姉ちゃん達にも 
この考察に関しての恩恵は受ける権利がありますよね(笑)

子育ては
おもしろいけど
本当に奥が深い!!!

表面的なことで一喜一憂していては身が持ちません

基本が大事ですね。
本当の本当の基本

これは、私達大人も同じ事ですね
やはり求めるものは
一つなのでしょうね。